本のせいなのか、どうなのか

今まではなぜかあまりなかったのだが、仕事で社内のほかの部署の人が書いた文章を読んで、それについての質問をすることになった。

プリントアウト後、ある部分の文章をいちど読んでみた。「?」 もう一度読んでみた。「??」 三度目。「???」とうとう、「何が言いたいのかわからん!」と、ひどくイライラしてしまった私は、赤ペンを手に取り、"てにおは"の修正や単語の補足などを始めた。それを見ていた先輩社員がひとこと、「それじゃ校正だよ…」。
なぜそんなにイライラしていたかといえば、文章が書かれた目的(だれに読んでもらって、何を伝えたいのか)がわからない、ということが、とてもいい加減で不誠実に思われたのだ。同僚から聞いた話では、ほかの文章では、そんなことはなかったらしいので、なおさらそう思ったのだろう。

でも、わかりにくいからって、イライラしてエキサイトすることもべつに無かったのではないだろうか。たしかに、変に細かくて、もともと潔癖症だなあ、と思うところはあるし。それとも、これらの本を読んでいたせいだろうか。

「超」文章法 (中公新書)

「超」文章法 (中公新書)

書いてあることは、とてもシンプルである。「メッセージこそ重要だ」「骨組みを作る」など。どこが「超」なのか、はよくわからない。ただ、基本的な作法が一通り書いてまとめてある、という点では、文章を書き始める人に対しての役に立つとは思う。
実は、この本は、8月6日に行われる、日垣隆の文章教室のテキストなのである。どう使われるのだろうか。素直に使うのか、それとも反面教師なのか。

困ったときの情報整理 (文春新書)

困ったときの情報整理 (文春新書)

これは、テキストではないが、文章教室に参加する人に薦められていた。著者が数々の雑誌を編集してきたその経験に基づき、知識の収集、取材の方法、文章の書き方などをまとめた本。
結構、有用だと思うんだけど、自分の生活(やこのブログ)にどう当てはめていいか、もうひとつピンと来ないなあ。これについても、いま判断しないで、文章教室の実施を待つか…。

こういう本を読んで役立てるのは結構だが、そのせいで変に他人の文章にダメだしなんぞして、逆に自分と他人のコミュニケーションを阻害してしまうのは、意味無いな…。