問いと答えのリズム、または生活の句読点

(このエントリは、「クイズやる人アドベントカレンダー Advent Calendar 2016 - Adventar」に登録したものです)

一時期、いわゆる競技クイズとその雰囲気を避けていた。

クイズやテレビは好きだけれど、よく知っているわけではないから、一視聴者としての思い出を書く。90年代のTVに巻き起こったクイズ王ブーム、その中でも、ほんの数文字読まれただけで解答ボタンを押し、ごく当たり前のように正解を導き出してしまう早押しクイズは、もはや不可解の領域で、当時高校生だった私は大きな衝撃を受けた。ほかの一般の視聴者もそうだったろう。しかし、その不可解さが続いてしまうと視聴者は置いてけぼりになって、ブームは下火になってしまった。そして、私が18歳になり、出場資格を得られるはずだったテレビ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』は終了、大学に入学して新歓でのぞいてみたクイズサークルはどこか殺伐としており、勝ち負けを競い合うクイズの世界は少なくとも自分に向いていないのだろう、と離れた。

思想家の内田樹が、《早押しクイズは問いと答えの間がどんどんと切り詰められていく無時間モデル。そして、教養は問いに対して、何かひとつお話を思い出す能力》というようなことを言っていたと記憶している。単純に、後者のほうが豊かだと言いたかった、という解釈でいいだろう。たしかにその言説には説得力がある、と今でも思っている。そういえば、それを読んだ時期に見たテレビ番組『高校生クイズ』も、知の甲子園と称していたが、画面に映る高校生たちは、私には優越感と恍惚に押しつぶされそうになりながらどこか不機嫌そうに見え、それはかつてのクイズ王ブームのバリエーションのようでもあり、やや退屈なものぐらいにしか思えなかった。

でもその割にはよく見てるよね、自分。やっぱりどこかクイズを好きだったんだろう。

時間は流れ、テレビ番組『クイズ30~団結せよ!~』で見かけたクイズモンスターこと古川洋平氏主催のクイズイベント『はじめてのクイズ』シリーズがSCRAPのヒミツキチラボで開催された。SCRAPのリアル脱出ゲーム好きな私は、興味津々で出かけていき、結果、チーム初優勝。かつて、早押しクイズにシニカルな態度さえとっていた私は、すっかり舞い上がってしまった。早押しクイズは、いずれ何も残らなくなる「無時間モデル」だと信じていたのに。

単純に誰よりも早くボタンを押して正解を言う行為は、(やったことないけどおそらく)麻薬的に楽しい。中毒性がある。何かに似ていると思った。何だろう。それは私が趣味でやっているDJだった。自分のタイミングでプレイボタンを押すことで、その場の時間を編集して、リズムを生み出しテンポをコントロールすることだった。そしてプレイヤーの知的好奇心に対して、オーディエンスの賞賛も伴っている。(実は、私が主催の一人である初心者向けDJイベント『DDJDJ』は、『はじめてのクイズ』を参考にさせてもらった部分がある)

最近では『アメリカ横断ウルトラクイズ』もCSで再放送され、やはりヒミツキチラボでクイズを体験した若者たちと、鑑賞会をした。伝説の第13回。白熱した戦いにみんなギャーギャーと大騒ぎするほど興奮していた。思い返せば、あの回の早押しクイズの問いと答えのリズムは、完璧なものだったのかもしれない。それはクイズ的に押しのポイントが完璧、とかそういうことではなく、司会・問読みの福留アナウンサーと解答者の掛け合いが生み出すリズムは、クイズをよく知らない人にも理解させて引き込んでしまうような、サービスの塊のように思えた。

クイズには、勝敗を突き詰めたりマニアックに探究したりする面白さもあるけれど、よく知らない人でもカジュアルに楽しめる、優しいリズムを持ったクイズ、そういうものがもっと広まってほしい。ふと「生活の句読点」という言葉を思い出した。それぐらいの位置づけ。調べてみたら、柳生博が司会をしていたテレビ番組『100万円クイズハンター』で生まれたらしい。

ということを書いてアップしようと思ったら、競技クイズ漫画『ナナマルサンバツ』のテレビアニメ化が決定した、というニュースが飛び込んできた。毎週のお楽しみが、いい句読点になりそうな予感がする。