ロマンティシズムの披瀝

大学音楽サークルでの旧友の結婚式で、東京プリンスホテルに出かけた。

結婚式では100名以上が参列し、席に人が座りきれず、自分と同様に立ったままの人が多数いた。披露宴では集まった来賓は約300人もいて、新郎新婦があんなに遠く見えたのは初めてだった。最大の出席グループは、新郎が参加しているボランティアグループのメンバー数十名だった。

新郎は、私と同年齢、ということで、ゲームブックまたはファミコン世代というのか。来賓の関心事をカテゴリにして一覧表にして各自に配ってヒントとし、歓談時に、関心が近しい人を中心にサインをもらって、それを応募券として、抽選で新郎新婦が新婚旅行(3ヶ月のクルーズ!)のお土産がもらえる、というイベントを企画していた。そういうところに感心した。

けっこう趣向が凝らされたスピーチ、謎の(?)応援団のパフォーマンス、新郎が参加するボランティアサークルの紹介、ライターが本業の新郎の手による、創作短編小説の紹介。そんなふうにして披露宴は進行していった。

私は、大学時代に一緒にバンドをしていた旧友たちと出席していた。そのうちのひとりは、ギターが上手で、ビートルズをこよなく愛し、批評眼が鋭く、そんなところに私は一目置いていた。彼と確認したのは、この結婚式が新郎のメルヘンを中心にしている、ということだった。

自分が誰かと結婚式をするとしたら、あれなのか。自分のロマンティシズムが、披瀝されるのか。それも時系列で並んだ過去の思い出つきで。どうしよう。

同じく出席していたサークルの後輩は「tnbさんは、何人ぐらい披露宴に集めたいですか?」と尋ねた。

現実的な心配は、まだしなくていいかもしれないが、できれば、親族だけで結婚式を挙げて、友人たちには、それぞれ小さなパーティーを催して、ゆっくり話し合いたい、と思う。そうすれば、ロマンティシズムの披瀝(時系列で並んだ過去の思い出つき)避けられるかもしれない。

実は、それには、先日DJで参加したイベントに旧友たちが各グループで来てくれたとき、どうやって挨拶して回って、退屈させないようにするか、を気にしたことも影響しているのだが。

「でも、友人たちを互いに紹介したい、というのもありますよね」

それも楽しみなのはまちがいない。現実的な心配は、まだしなくていいかもしれないが。