荒井裕樹『プロの論理力!トップ弁護士に学ぶ、相手を納得させる技術』

プロの論理力!―トップ弁護士に学ぶ、相手を納得させる技術

プロの論理力!―トップ弁護士に学ぶ、相手を納得させる技術

この本を知ったのは、2006年12月3日放送のドキュメンタリーテレビ番組『情熱大陸』(http://www.mbs.jp/jounetsu/2006/12_03.shtml)で、弁護士の荒井裕樹氏が特集されていたからでした。

弁護士・荒井裕樹、30歳。
弁護士になってわずか五年の間に、青色発光ダイオード中村裁判の主任弁護人・升永英俊と共に活躍、その後も味の素裁判、パチスロ・アルゼ訴訟、CD光ディスクの日立裁判等、世間でも話題となった訴訟を担当してきた。
現在は、尊敬する升永弁護士の事務所に所属している。担当する訴訟のほとんどが、勝つのが難しい、あるいは同じ勝つにしても前例のない勝ち方を目指すもの。ハードルは高いが、人間の正しい権利を主張するために、全力を尽くしている。
 「理不尽なことには怒りを感じる。その怒りを、法律というものをとおして理論に変えて表現しているのかもしれません。」彼は静かにこう語る。
 弁護士という仕事に真摯に取り組む人間・荒井の姿を追う。(上記URLより)

放送を見て、私より歳若い彼の淡々と、しかし着実な仕事振りに、頭の下がる思いがしました。しかも、休みの日には、妻子とリゾートのビーチを散策する映像まで。もうかないません。そんな人に、何がしか学びたいなあ、と思ったのでした。

まえがき

本書では、私がこれまでに培ってきた論理的思考力の鍛え方、論理的な交渉の進め方、そして、論理的思考に基づいた仕事術までを、余すところなく開示した。(まえがき)

言い切りましたね。期待しましょう。本は、自分が弁護士を目指した理由から語られています。

私の場合、父が弁護士なので、その理屈っぽさは子供の頃から身に沁みている。親子で何かを議論すると必ず負けてしまうので、本当にイヤだった。関わりたくないと言ったって、なにしろ親子だから関わらざるを得ない。

おねだりするにも、その「合理的な理由」を説明しなくてはならなかったそうです。その後、著者は、一度は某レコード会社から採用の内定をもらって、将来日本一のタレント・エージェントを志し、法律も知っておこうと思い、司法試験を受けたそうです。

私が弁護士になることを決意したのは、ある出会いによって、それまで嫌っていた「理屈の世界」が決して退屈なものではなく、むしろ、そこには自分の野心を書き立てるだけの大きなフロンティアがある、ということに気づいたからだ。

その後、著者の師となる升永英俊氏の、最高裁判例をひっくり返そうとする綿密な準備書面に感動を受けたこと、そして、「個人の力」で勝負したい、とくにイチローや松井など、同世代のアスリートに負けたくない、という気持ちが語られます。

でも、まだ勝負がついたわけじゃない。仕事の分野は違っても、「個人」として彼らに負けない結果を出すことはできるだろう。収入だけが仕事の評価ではないけれど、たとえば年俸の面で彼らに追いつくのも一つの目標だ。実際、私は以前から、せめてイチローや松井が日本で稼いでいた年俸に追いつきたいものだと思っていた。
(略)
(所属することになる東京永和法律事務所の面接で)さらに升永は、こんなことも言った。「西武ライオンズの松坂は18歳で日本一の投手になった。それに対して、キミはもう23歳。5年も遅れています」

こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/clubunited/20070329)によれば、1991年にオリックスに入団し、マリナーズに移籍するまでイチロー選手の総年俸は19億8,030万円だったそうです。これに「せめて」追いつくというだけで、相当な野心です。そこに来て、升永氏の言葉。年俸と日本一の関係が少し気になりますが、それは、別にいいでしょう。

本文

本文では、まず著者の仕事の姿勢について語られます。

つまり、「勝てる弁護士」に求められる「個人の力」は、論理力だけではないということだ。それは何か。私の言葉で言うなら、そのために必要なのは「野心」である。どんなに論理力を鍛えても、野心のない弁護士には、前例を打ち破るような仕事はできない。(1章)

モチベーションの高さを訴えるのはいいのですが、この本のタイトル、「論理力」ってついてますね。「野心力」のほうが正解なのでは。

したがって、まずは情報を「見つける目」が論理力の基礎になるのだが、これはテクニックとして身につくようなものではない。(1章)

この本で「鍛え方」を余すところなく開示するんじゃなかったのですか。まあ、これは、どんなに技術を身につけても、それを使う気持ちが大事だ、という大前提を語っているだけなのでしょう。先には、著者が経験した事例をもとに、論理力交渉力を高める7つの掟(徹底した情報収集、自分でコントロールできることに集中する、等)が語られています。ほっ。

国という最強の相手を向こうに回して、前例のない判決を勝ち取るという高いハードルがあったからこそ、私の野心が刺激され、それを乗り越えるだけの「論理力」が引き出されたのだと思う。(2章)

野心についてはもうわかりました。

その後、仕事術についても、さまざま語られていますが、「情報収集」について、

ちなみに私はパソコンのワープロソフトでメモをつけている。パソコンに記録しておけば、後からの検索も楽だし、記録したメモを加工して論理を組み立てていくにも、カット・アンド・ペースト機能があるので、とても便利だ。(3章)

あの、本当にこれだけですか。あれだけの実績なのだから、これだけじゃないでしょ。

(日常的に合理的に改善する例として、時間の節約のために、)たとえば、エレベーターに乗るときの段取り。(略)いろいろと試した上で出した結論は、こうだ。エレベーターに乗ったら、まず「閉」のボタンを押してから、行き先の階数ボタンを押す。(3章)

そこまでやっている、ということをおっしゃりたいのはわかりますが、それよりもっと役に立つ時間の節約方法があるのではないですか。もしかしてギャグですか? そうだったら、すみません。普段から冗談が通じないタイプ、と言われるので。

それでも、著者の体験から、交渉に使えるフレーズなどはあちこちで紹介されているので、それらは役に立ちそうです。たとえ、

私は、いまは弁護士としての野心を持ち、前例のない結果を出すことで社会にインパクトを与えるような仕事をしたいと願っているが、弁護士であることに自分のプライドを置いているわけではない。「弁護士」という資格・肩書きは、自己実現のための「道具」にすぎないのである。(3章)

という記述が、最初に書いた『情熱大陸』の紹介文と何か違うんじゃないの、と思っても。でも、ほら、それはさ、弁護士という職業を選んだからには、それは真摯にやりますって意味ですよね、って、私はなんで必死にフォローしているのでしょうか。

最もひっかかったところ

さて、この本で最もひっかかったのは、著者の高校時代、化学の授業でのエピソードです。

文系志望の私にとって、化学や物理といった、センター試験の受験科目でない理系科目は、大学受験に関係がない。(略) そのため、授業中は教師の話を聴かずに「内職」をするのが常だった。(略)私の通っていた高校にかぎらず、世の進学校ではごく当たり前の風景だろう。(3章)

自分を律する、ということは本の中でも繰り返し言われていたのですが、どうしてここで急に自分に甘くなるのでしょうか。

(そして、著者は最前列だったゆえに、また普段は内職が黙認されていたのに、その日に限って)教師が、「キミは化学の勉強をしていないから、これは必要ないよな」と言って、授業で使うプリントを私の後ろの席から配り始めたのだ。(3章)

で、困った著者は、その場でいったん怒りを収め、交渉の手段を練り、授業後に「ほかに同じことをやっているのに自分だけもらえるのはおかしい」「こっちに授業を聞く権利があり、あなたは平等に授業を受けさせる義務を負っている。契約違反だ。」と教師を攻め、逃げた教師を職員室まで追いかけて抗議し、プリントを手に入れたそうです。

相手が反論できなかったのだから、この交渉が私の勝利に終わったことは言うまでもない。(略)しかも、従前どおり、化学の授業時間中、最前列の席で内職をしつづけることができ、受験勉強計画の大幅な修正を免れたのだ。(3章)

それはおめでとうございました。(著者にだけプリントを配らなかった教師のやり方が甘かった、と思いますが) ただその前に、内職しないで済む計画を立てたほうがよかったのでは。最近の音楽テレビ番組で、司会者に乗せられたミュージシャンが、過去の万引きを悪びれずに告白しているような錯覚をおぼえます。「盗人たけだけしい」という諺がふと浮かびましたが、気のせいでした。

まとめ

この本の全般にわたり、「個人のプロはこうあるべきだ」というビックワードと、著者の個人的な仕事経験が紹介されているのですが、それだけで終わっているのでは、と思わされる箇所が多くありました。そして、本筋から離れた話(大学時代、約1ヶ月のTOEIC受験も「一応」「あまり大きな声では言えないが」800点を超え、「まずまず」と思った、など)も、単なる自慢にしか聞こえません。

著者は野心を糧に突き進み、若くして他の弁護士が真似できないような実績を挙げてきたのは事実です。ですが、もし本当に論理力の鍛え方、交渉術、仕事術を書きたいのだったら、自分が実践している実際の方法を丁寧に紹介し、せめて読者にも応用が利いて実践しやすいように、多少でも普遍化するサービスをしたほうがいい。このようなノウハウビジネス本の体裁をとっているのなら、その点を目指すべきでしょう。個人的な野心から距離をとれなければ、成功を自慢する社長本となんら変わりません。

今日、神保町を散策していると、大型書店の新入社員フェアには、この本が平積みされていました。売れているようで、何よりでございます。