内門氏の日記を読んで

楽しかった6月4日の「レコード寄席」について、出演者DJであるballroom recordの内門氏が、日記でこう書いていた。

しかし、小西康陽さんや平林伸一さんのウィットに富んだ話ぶりに比べてボクのしゃべりのイケてないことったらなかった。もう自己嫌悪で死んでしまいたいくらいだ。

見ていた私から言えば、そういうことはまったく感じられなかった。それどころか、"undressing DJ"(by chippleさん)としての矜持についての語りで、「全部持っていってしまった」のではないだろうか。

しかし、私が気になったのは、それより以後の記述である。

コンピCD「昭和ダンスパーティー@池の上こあん」がリリースされる前もリリースされた後もビクターはボクを含む関係者にいろいろ便宜をはかってくれた。 具体的には何回かあった打ち合わせ時の食事代を負担してもらったりということだ。それだけでもかなりの出費であっただろう。ボクも食事代を出してもらって悪い気がするワケがない。いわゆる「いい思い」をしているのである。 (略) しかし、「いい思い」をしておいてなんだが、ボクにはそれが無駄使いに思えるのだ。CDのプロモーションや制作にそんなに食事代を出費したり無料イヴェントを行う必要があるのだろうか。もちろん販売促進のためにプロモーションは必要である。しかし、もっと実戦的、有効的なプロモーションがあるのではないか。

その後、内門氏は、

  • 一般的なフライヤーが存在しないということ
  • 音楽誌で一度もレヴューを見なかったこと

などの事実をベースにして、「メジャーのレコード会社は経費のかけ方をもっと改善した方がいい」という論旨を展開している(詳細は、リンク先を読んでほしい)。

そうだったのか。読んで、ショックを受けた。うすうすはそんな雰囲気を感じていたが。
私は音楽業界の内情などまったく知らないし、人から言われたことを素直に信じてしまう性格だ。ましてや、私は内門氏のお顔をDJイベントで何度か拝見しているから、好意的な心理バイアスもあるだろう。
しかし、その内容は明快だ。おそらく日々コストとシビアに戦いつつレコード店を経営している内門氏の、現場からの正直な意見なのだろう。言ったら何らかの不利益をこうむることはわかっているが、言わずにはいられない。そういう気持ちが伝わってきた。*1
ところで、なぜ私は、「うすうすはそんな雰囲気を感じていた」のだろうか。思い当たるのは、ここ数年で起きた、CCCDの一件*2であった。これについては、権利ビジネス、芸術としての文化的側面についてなど、さまざまな事柄が論議された。結局、レコード各社が強制的にCCCD化を推進する態度が軟化し、私の知るところでは、いつのまにか新譜でCCCDを見かけることはほとんどなくなったように思える。
しかし、CCCDの導入と撤退の理由付けをはじめとして、説得力があるレコード会社からのアナウンスは、最後まで聞かれなかったように思う。撤退の理由は、「ユーザーに著作権意識を根付かせることができたため」という一文を各社が画一的にアナウンスして終わったはずだ。
つまり、何が言いたいのかといえば、私はレコード会社に信頼をなくしているということだ。あと、一部のミュージシャンにも(実は、個人的にショックな出来事があったが、ここでは書かない)。まあ、長々書いちゃったけど、今は、内門氏のような意見を聞くと、素直に「そうだよね」とうなずいてしまう。そういう自分を確認できた、ってことですよ。

*1:まるでECDの『ECDIARY』を読んでいるかのような気分になった

*2:総括記事は、ライター津田大介氏のこの記事が詳しい http://www.asahi.com/tech/apc/041130.html