さすがにそろそろ図書館に返しに行かなければならないので

原稿用紙10枚を書く力

原稿用紙10枚を書く力

今日は、有名人を時々見かけた。秋葉原では、ハドソンの高橋名人トークショーをしていた。神田三省堂では、町田康が、新刊のサイン会をしていた。そして、神保町の駅前では、明治大学齋藤孝教授を見かけた。やはり通行人に話しかけられていて、テレビで見たままの、ジャケット姿とやや高い声。その話が終わり、横断歩道を歩き始めた。ちょうど上の本を読んでいたので、思い切って話しかけることにした。かつて、テレビで見たナンパ塾の講師が「声をかけるときは、必ず相手の視界に入ってから」と言っていたのを思い出して、忠実に実行した。こんなところで使うテクニックでもないと思うが。横断歩道を渡りきったところで、話しかけた。

atnb「あの失礼ですが、齋藤孝先生でしょうか。」
齋藤教授「はい、そうです。」
atnb「『原稿用紙10枚を書く力』を読んだんですが、疑問がありまして、1つお伺いしてよろしいでしょうか?
齋藤教授「どんなことでしょうか?」
atnb「先生はブログをご存知でしょうか?」
齋藤教授「ブログ?」
atnb「インターネットで、趣味や社会的な出来事について、日々記述をしていって、互いの記事に言及していくような仕組みがあるんですよ。書く練習にいいと思って、いろいろ書いているんですが、本の中に、『簡単に話すと、書く気持ちの内圧が下がっていく』と言う記述があったと思うんです。それは、矛盾しないかなあ、と思って。」
齋藤教授「インターネットで文章を書くときに、他人に見られているということで、緊張感を持たれると思うんですよ。その緊張感が、自分の書く気持ちの内圧を高める、ということだと思うんです。ただ、友達と話しただけで話題を垂れ流してしまうと、それで終わってしまいますから。インターネットの文章でも、書きっぱなしだとあまり意味がないんですよね。だから、他人の目を意識しながらインターネットで書き続けることは、よい訓練になると思いますよ。」

これから、講義があるとのことで、先生とは握手をして別れた。身体のコミュニケーションについていろいろと研究している人のせいか、握手がやけに力強かった。時間のない中、話を聞いていただいて、齋藤先生には感謝している。今日の、有名人に会ったささやかな自慢はここまで。家に帰って本を読みなおしてみたら、「書くということは、考えを溜めて、自分の中の内圧を高める行為なのである」と書いてあり、そのあと、日記を書くことが自己肯定力、自己確認力を高める、という話につながっていた。あー、そういうことだったのね。

しかし、この本については、私の評価はあまり高くない。

家に帰ってから、もう一度この本を読み返してみた。最初は電車に乗りながら一気に読んだので、内容が自分の中で不鮮明だったのだろう、と思ったが、読み返してみても、内容がもうひとつはっきりしない。ほかの齋藤先生の本を読んでいても思うのだが、文の読み方や書き方に対して、キャッチフレーズを掲げつつ、その持論を展開しているが、まとまりという点で、最後に残る芯のような何か、というのが欠けているように思えるのだ。

ひとつひとつの話題の内容が間違っているというわけではない。それどころか、歯切れのいい文章で説明されるので、読んでいる私にも、爽快な印象がちゃんと呼び起こされている。ただ、本全体として考えた場合、何かぼんやりしてしまう。タイトルは『原稿用紙10枚を書く力』だが、内容の途中から原稿用紙10枚、というコンセプトから外れて、ふつうの書く、読むの話になっているような気がしてならない。10枚、という言葉が、導入部の単なる「つかみ」になってしまっているような…。推測だが、同じ著者の作品で、同じようなことが書かれた本は、簡単に見つかりそうな気がする。

今度、著者本人に会ったら、以上のようなことを訊いてみたいが、無理かなあ…。