TYO→SFO→SJC

機内で映画を見るなりなんなりしながら、サンフランシスコ国際空港に到着した。まわりは、もちろん英語の案内だらけ。それでアメリカに来たことを実感した。これから滞在先のサンノゼのホテルに向かう。

空港の案内板に従って、bartと呼ばれる地下鉄に乗ろうとすると、チケットの買い方がわからない、という60歳ぐらいのおじさんに話しかけられた。日本人が話すような、発音に硬さがある英語だった。自分も買い方がわからないので、係の人にいっしょに教えてもらった(多めにお金を入れて、そこから引き算して金額を調整する)。おじさんは、自分と同じで、となりのMillbrae駅まで行き、サンフランシスコとサンノゼを結ぶcaltrainのLawrence駅まで行くというので、いっしょに向かうことにした。東洋人なのに、どことなく北朝鮮問題で有名になったジェンキンス氏を思わせる雰囲気だった。

おじさんは、台湾とアメリカに交互に住んでいる、商社に勤務している元ビジネスマンだった。今日は、奥さんの実家に初めて一人で出かけるのだという。私が日本から来たシステム・エンジニアであることを告げると、「何か訊きたいことがあったら連絡してくれ」と、電話番号を教えてくれた。私は、名刺を渡した。こういうときのカードというものは、とても大きなつながりの力を持っているような気にしてくれる。旅行らしいエピソードの展開ですね。

1時間後、おじさんはLawrence駅で降り、私は、San Jose Drindon駅で降りた。降りてみると、数台のバスが止まっているロータリーのほかには、人影もまばらだ。空は雲ひとつなく、太陽はさっきからギラギラと照りつけている。湿気はないが、日本の記録的な猛暑がよみがえってきたみたいだ。バスを使おうかと思ったが、向こうにダウンタウンAdobe社が見える。そこまで歩くことにした。

ダウンタウンに来たというのに、妙に人がまばらで静かだ。昼食をとろうとしたが、どこに入っていいかわからなかったので、とりあえず見つけたスターバックスカフェに入った。サンドイッチは5ドル50セントもするが、妙に厚い。それとグランデサイズのコーヒーを頼めばもう十分だった。アメリカの食事の量の多さは、本当らしい。

それにしても、火曜の午後だというのに、本当に人が少ない。近くにあるはずの観光案内所を探したが、そのビルはなぜかクローズしていた。仕方なくあきらめて出ようとすると、ちょうどタクシーが1台止まっていた。たぶんこれを逃すとなかなか見つからないだろう。ドライバーのいかついおじさんにホテルの住所を教えて、走ってもらった。ハイウェイを2つ乗り継いで、無事にホテルに到着。すると、おじさんは「いくらにする?」と訊いてきた。そうか、これでチップ込みの値段にするということか。33ドルだったので、2割増ぐらいの40ドルで決めた。これが、初のチップ支払い体験だった。

ホテルの周辺は、小高い山に囲まれた、いかにもカントリーサイドという場所。ホテルの部屋は、人生初のスィートだった。一晩139ドル+13%のroom tax。キッチンとテーブルと、playstationまで用意されていた。数日前からサンフランシスコに来ている同僚(女性 Sさん)から伝言メモがあって、出張先の研究所の下見をしに行っているらしい。サンフランシスコに着いてから、時差ぼけのせいでずっと眠い。少し眠ることにした。

Sさんが帰ってきたので、車に乗って夕食へ出かけた。近くのモールにあるCheesecake Factoryに入った。こちらでは、成長株のファミリーレストランのチェーンだそうだ。結構な混雑で、車を止めるのに一苦労したあと、店内で10分ぐらい待たされた。名前のとおり、デザートのチーズケーキの種類がやけに豊富だ。料理の内容といえば、さまざまなグリルがずらりと並んでいる。あとで聞いた話だが、量を満足させる、という、アメリカらしいコンセプトらしい。頼んだのは、Chino-Latino Steak という料理。牛肉なのだが、ソースが妙に甘い。こういう甘さは、アメリカ料理ならではの気がする。

Sさんは、サンフランシスコでワイナリーツアーに出かけたが、タクシーの運転手が集合場所に行くのに、妙に道を遠回りしているようだったので、携帯電話を借りて、遅れそうだと伝えたら、運転手が責任を取らされちゃかなわないと思ったらしく、急にきびきび運転しだしたとか、そんな話をしていた。料理は、日本の居酒屋で3人前ぐらいの量で来るので、当然食べきることもできず、一応持ち帰りにしてホテルに戻った。

部屋のテレビでは、いまや州知事シュワルツェネッガーが、演説をして喝采を浴びていた(何を言ってるかわからなかったが)。明日から仕事だ。時差ぼけのせいで眠れるかどうかはわからないが、眠ることにした。おやすみなさい。