再度『Readymade Digs Disney2』について

自分のエントリを読み直してみた。発売直後に書こうと思って焦ったのか、自分でも何が言いたいのか伝わりにくい文章だと思った。いま思うに、各トラックのさまざまな要素(編曲、メロディー、演奏など)がすばらしいのは頭で理解できるが、それらが組み合わさった結果としての、最終的な個人的な感動までに至っていない、ということが書きたかったのだろう。
それはなぜなのか。別に深刻になっているわけではないが、小西さんの言うように「修業が足りない」のか。これらの曲を聴くには、修業が必要なのか。修業によって、「個人的な感動」(これ無しでは音楽を聴く意味がない)は、開拓されるのか。修業とは、たとえば、同時代や同ジャンルに分類される音楽から、好きな1曲を探し出して評価軸にするとか、そういうことなのか。
作品の内容とは関連のない話になったが、私は、「修業が足りない」と言われて、やはりうれしかった。それは、まだ聴くべき音楽がある、ということだ。このCDを聴いたときに新たに訪れるかもしれない、個人的な感動にたどり着くまでの道筋を、ゆっくり楽しもうと思う。