有吉
わかってはいるんですけど、居酒屋さんとかで、「一発屋だ」とか「あいつ猿岩石だ」とか言われただけで、イライラきて、もう気が気じゃないです。

糸井
そうだよねぇ。

有吉
流せないです。

糸井
それは、有吉さんだけじゃない、100人いたら、100人がそうだと思いますよ。平気なふりをしてるだけです。だって、気が気じゃない部分がないと、お笑いからセンスがなくなりますから。

(http://www.1101.com/ariyoshi/2009-11-19.html)

最近はあまり読まなくなったが、「ほぼ日刊イトイ新聞」に有吉弘行が登場していたので、また読み始めた。緩やかな中にも本質が見え隠れする対談を愉しんでいたのだが、
上の《だって、気が気じゃない部分がないと、お笑いからセンスがなくなりますから。》の部分が、よくわからない。ずっと考えているが、まだわからない。

「気が気じゃない部分がないと、成功しない。」というのだったらわかりやすい、」というより、そのまま過ぎて何の意味もない。「お笑いからセンスがなくなる」とはどういうことか。「気が気じゃない」と考える心の弱さや業(ごう)みたいなものの上にお笑いが成り立っている、ということなのか。でも、この答え自体がセンスがないようにも思えるしなあ。

どうしてこのことに引っかかっているのかもよくわからない。この前、会社の先輩に「きみは何にでも結論を出したがる。」といわれたので、ひとまずはわからないままにしておく。

ほぼ日刊イトイ新聞の謎。 (ほぼ日ブックス #)

ほぼ日刊イトイ新聞の謎。 (ほぼ日ブックス #)