抽象化とパッション

次に私が参画するプロジェクトを決めるために、所属長と面接をした。

最近どういう本を読むか、とか、突然だが、東海道新幹線の、東京-新大阪間の1日のコーヒー売り上げはどれくらいか、とか、そんな雑談から始まったが、そういう回答から、人の考え方を見抜くのが、所属長は異常にうまい。

「あれだなあ、atnb は、抽象化が苦手かなあ。仮説はいろいろと立つけど、そこから最も本質に近い切り口を選び出すのができなかったりして」

たしかにそういう点はありますね。情報を集めすぎたせいで足が止まっちゃったりします。

「経験も足りないんだろうな。成功も、失敗も。そういう振り幅を広げるのも大事だな。それから、2つのプロジェクト面接の話、レポートしてくれるのはいいけど、これ、淡々と書きすぎだろ。自分がどうしたいのか、そういうのが見えないんだよ。」

面接のレポートは、あえて議事録として淡々と書きました。自分の考えは、別表に項目にして書きました。

「これ、別表にもう答えが書いてあるじゃん。こっちのプロジェクトがいいです、って。でも、高くモチベートされた人間ならさ、話をもらった瞬間に、『やらせてください!』って言わなくっちゃ。握手するぐらいの勢いで。そういうパッションが欲しいな。日本語で言うなら、貪欲さ、っていうのかな。」

でも、2つの面接それぞれで同じパッション見せたら、それはまずいんですよね。

「そりゃそうだな(笑)。」

それは、私の本質かもしれません。日記も毎日書いてるんですが、淡々と書くようにしないと、書けないですね。自分の衝動ってものを、あまり信用してないところがあると思います。

「突然2人の女性に好きです、って言われて決断した、とかいう経験でもあれば、すぐに選べるのかもしれないけどね(笑)。で、どうしようか。もう少し考える?」

いや、もう自分の気持ちが表の項目に出ているので、こちらのプロジェクトでお願いします。

「わかりました。もし気が変わったら、言ってね。ただし、決断をひっくり返すだけのパッションつきで。」

はーい。

まるで漫才のようにして、次の仕事が決まった。