冷たい人と言われそう

3月31日は、仕事で7年間一緒に働いてきたチームから、私を含む数名が離れることになり、その送別会があり、十数名が集まった。最後の挨拶では、多くの人が涙を流していた。

みんな、離れて行く私のことが心配だという。私はつねに真顔なので、周りは何を考えているのか、よくわからないらしい。確かに、自己を主張するでもなく、リーダーシップを強力に発揮するタイプでもない、と自分でも思う。要するに、頼りないってことか。ただ私は、別れの実感がわかなくて、涙を流すでもなく、ぼんやりした気分を抱えていた。

たしかにお世話になった。というより、入社したときからチームに入ったので、仕事の基本をすべて教えてもらった。人生で最も辛かった、と間違いなく言えるぐらいのこともあった。それなのに、実感がわかない。今まで通じ合った同僚と別れて、これから新しい人とコミュニケーションの基盤を作り直しながら、仕事をしていくのは大変だとか、呑気な自分はそういう状況をわかっていないだけなのか。

斉藤由貴が歌ったヒット曲『卒業』に、
「ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう」
という歌詞があって、ふと思い出すぐらいだから、意外と自分にプレッシャーになっている。でも、みんな数日後には、またどこかで働いている、と思うと、悲しい気分になりにくい。学生時代の卒業式も、先のことばかりを思って、ずいぶんとすがすがしい気持ちで通り抜けてきた。まあ、自分のことばかり考えている、冷たい人と言われても、仕方ないわなあ。

「でも もっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの」
きっと悲しくなるのは、その人が亡くなったりして、二度と会えなくなるときだろう。当たり前だけど、それ以外に悲しいことが思い当たらない。

4月1日は、谷中の満開の桜を見に行った。
やっぱり気持ちは変わらない。ただ、いい大人には不釣合いな、ひどくイノセントで前向きな気持ちだけがある。

真顔じゃなくて、もう少し、笑うようにしよう。