2010年9月1日の覚書

仕事で見積もりをまとめようとして細かく調べすぎ、余計に時間がかかった。要領が悪すぎる。

今月の高円寺のDJは、J-POPでまとめよう、と何となく考える。

葛飾区ミニ情報:綾瀬行きでもあきらめずに乗ると、運がよければ我孫子行きにすぐ接続できるぞ!

サンマが高い、と聞いていたが、今日のサンマは95円だった。

PCを起動すると、ブルースクリーンが出て、まともに動かない。セーフモードでようやくこうして書けている。復旧が面倒だ。

ヤン富田コンサート@日本科学未来館

ヤン富田、という名前を聞くと、何か確認しないではいられない気になる。日本未来科学館で、16年ぶりにソロコンサート、というので、ひさしぶりにゆりかもめに乗って台場に降りた。

寒い。

寂しげな暗さで不安にさせる場所である。忽然と現れる閉館後の科学館と、数百人の入場待ち。全席自由だから。ふらふらと最後尾を探したら、危うく柵のない池に落ちそうになった。

会場の1Fのシンボルタワーには、巨大な地球儀オブジェが吊り下げられ、その下の舞台に配線いっぱいの機材とスティールパン4台。一人なのをいいことに、ちょこまかと動き回り(身長182cmのちょこまかは鬱陶しくてごめんね)、前から2列目に座った。

近い。

しかし、背後のスクリーンが上過ぎて首が疲れ、後で悔やんだ。客入れ音楽でかかったDoopeesの"Magic Journey"。この前、自分のDJでもかけたが、音が小さかった。やっぱり大音量でかけなくては。

トウキョウ・ディズニー・エイジ?Dー100 cafe Album

トウキョウ・ディズニー・エイジ?Dー100 cafe Album

開演。

ゆっくりしたブレイクダンスを踊る3人のお兄さん、銀のマントでデコレーションした男性。これはヒップホップである、という決意表明にも見えた。その後、ヤン富田ドクター登場。スティールパンでさっそく1曲。

その後、被験者から電極を通じて脳波を取得し(助手が高木完とダブマスターX)、そのバイオフィードバックを解析して音楽を奏で、内・外的宇宙を巡る、というプログラムを決行。ときどき背後のスクリーンに映るiPhoneのアプリ(ワープ装置起動)に会場から笑い。被験者の脳波とサウンドロボで会話もさせていた。いったいどういうことなんだ。

自分の筋肉からも信号を取得して音楽を奏でた。といっても、ヤン氏本人がいうように、楽典的なメロディーはほとんどない。ただピコピコと電子音が鳴ったり、すさまじいノイズが聴こえたり。それでも、個人的には、夕べテレビで見た某歌手が歌う「感動的な歌」よりは、圧倒的に耳を惹いた。

ふだん聴いている音楽の形式からは遠く離れ、無機質な音の洪水をずっと浴びているのに、いやそれゆえか、生と死のようなものをいつの間にか連想している。前に座っていたA.K.I.は興味深そうに聴いていた。そのとなりのおじさんは、頭をガクガクさせながら眠気と戦っていた。そりゃそういうこともあるよね。自分もあくびが出たが、それは退屈なのではなく、脳が異常な量の酸素を消費しているせいだろう。眠気と戦っていたおじさんは、いつのまにかどこかへ消えていた。

ヤン氏は「息子が聴いてたB’zみたいなのがよかった? でも、やればできるんだけど、自分にはこっちのほうが優先度高いもんで。」と。
そして、「でも、好きでしょ? お金払ってわざわざ来てくれてるんだし。」「今日は、本気出してるんで!」そういう口上も面白い。

でも、そんなことばかり話していたものだから、時間が押しまくってしまい、Doopees高木完は一曲ずつ出てきたが、プログラムをすべて消化しないまま終了。アンコールもなし。ヤン氏は平謝りしながら、「でも続きを必ずやります!」と力強く宣言して終幕した。

それにしても、この会場に集まった何百人の「客層」って、どう考えたらいいのだろうか。たいていどんなライヴでも、多数の客がかもし出す雰囲気、というものは感じられるものなのだが、このコンサートについてはよくわからない。

アンケートの感想にも、「どう評価していいかよくわからないが、何かがある、と思わせる。」としか書けなかった。日本科学未来館での科学と未来の音楽。しかし、そこにあるのは前時代的にも見える機械(というよりぐちゃぐちゃコード)と、"ダウン・トゥ・アース"なスティール・パンと、いくらかのユーモア。最後に観客がスタンディング・オベーションをしてしまったのも含めて、よく出来た不思議なコメディ・ショーのようでもあった。

オーディオ機器を譲りたがっている人がいます

以前のプロジェクトでいっしょだった、音楽好きの先輩エンジニアから、久しぶりに電話がかかってきた。群馬の親戚の家で、掃除をしていて、オーディオ機器を処分したいのだが、せっかくだから譲りたい、とのことだった。機種名を訊いて調べてみたら、いわゆるエントリーの部類だが、それなりに定評のある機器らしい。

ターンテーブル Victor QL-Y5
http://www.hifido.jp/sold/?gcode=0301&keyword=QL-Y5&limit=10

プリメインアンプ Technics V6
http://audio-heritage.jp/TECHNICS/amp/su-v6.html

CD-R/CD-RWレコーダー Pioneer PDR-D50
http://www3.pioneer.co.jp/product/product_info.php?product_no=00000097&cate_cd=031&option_no=0

こういうのって需要があるんでしょうか。無料は難しいかもしれないが、(ひとまずは私の直接の知り合いで)ご希望の方はご連絡を。

レコードも4〜500枚ぐらいあるらしい。フォークやロック中心といっていたような。ひとまず見てみたいが、群馬か。私一人なら群馬に連れて行ってくれる、と先輩エンジニアは言うのだが。

有吉
わかってはいるんですけど、居酒屋さんとかで、「一発屋だ」とか「あいつ猿岩石だ」とか言われただけで、イライラきて、もう気が気じゃないです。

糸井
そうだよねぇ。

有吉
流せないです。

糸井
それは、有吉さんだけじゃない、100人いたら、100人がそうだと思いますよ。平気なふりをしてるだけです。だって、気が気じゃない部分がないと、お笑いからセンスがなくなりますから。

(http://www.1101.com/ariyoshi/2009-11-19.html)

最近はあまり読まなくなったが、「ほぼ日刊イトイ新聞」に有吉弘行が登場していたので、また読み始めた。緩やかな中にも本質が見え隠れする対談を愉しんでいたのだが、
上の《だって、気が気じゃない部分がないと、お笑いからセンスがなくなりますから。》の部分が、よくわからない。ずっと考えているが、まだわからない。

「気が気じゃない部分がないと、成功しない。」というのだったらわかりやすい、」というより、そのまま過ぎて何の意味もない。「お笑いからセンスがなくなる」とはどういうことか。「気が気じゃない」と考える心の弱さや業(ごう)みたいなものの上にお笑いが成り立っている、ということなのか。でも、この答え自体がセンスがないようにも思えるしなあ。

どうしてこのことに引っかかっているのかもよくわからない。この前、会社の先輩に「きみは何にでも結論を出したがる。」といわれたので、ひとまずはわからないままにしておく。

ほぼ日刊イトイ新聞の謎。 (ほぼ日ブックス #)

ほぼ日刊イトイ新聞の謎。 (ほぼ日ブックス #)

『平凡コンプレックス〜美大で個性を考える』

武蔵野美術大学の芸術祭(学園祭)にて、タイトルのイベントを見てきた。
(http://www.tbsradio.jp/life/2009/11/_part1_1.html)

TBS 『文化系トークラジオ Life』のパーソナリティ7人が全員そろうと言うので、散歩を兼ねて出かけた。大学生のような若い人が多数だった(当たり前)。これはうっかり場違いな場所に出てきてしまったのか、と多少後悔した。会場は石段に腰掛ける感じで、座布団を持っていったが、姿勢が変えられなくて難儀だった。

個性が渦巻き競い合う美大の中で、自分の平凡さに気づいてしまったら、どうしたらいいのか。話を聴きながら私は、そうか、美大ってそういう場所なんだよね、ということに今さらのように気づいた。話を聴いているうちに、短気で多少は企業社会に擦れた自分は、こう思わざるを得なかった。個性とか考える前にさっさと作品を作ることを考えたらいいんじゃないの、と。しかし、ことはそう簡単ではない。

内容の詳細は、上記ページでポッドキャスティングが公開されているので、そちらをぜひ聴いていただきたい。なかなかにキラーなフレーズが満載である。「個性と才能を混同してはいけない。」「モテると悩まないで済む。」とくに耳を惹いたのは、「個性は他人が定義する。」だった。急に数日前のことを思い出した。

自分と同じオフィスにいながら、ほとんど話したことがない同僚たちと、飲み会をしたのだった。そこで、最近親会社から赴任してきた先輩の一言、「君はこんなところより、別の場所が向いている。自分が君の上司ならそうする。自分ができないことに対して、自分だけが悪いと思っている。その反面、君はバカなやつが嫌いだ、って思っていないか。」いま私は、将来会社でどうやっていこうか様々な思いが去来しているときだったので、私は会社でそんな風に自分が見られている、つまり個性として認識されていることをどう受け止めていいか、ひどく戸惑っていた。私はここから逃げ出したいのだろうか。

イベントは2時間におよび、結局どうやって個性で食べていくか、という話にまで発展していった。再び自分の個性について考えてみたが、上に挙げた以外で当てはまるのは、趣味のDJだろうか。それはまた改めて書きたい。

高円寺で希望者参加の打ち上げ

著名な人と直に話せる、という機会に私はすぐに首を突っ込みたくなる。メーンパーソナリティの鈴木謙介(チャーリー)氏、プロデューサーの長谷川(黒幕)氏、サブパーソナリティの斎藤哲也(ライター)氏と話す。自分はいつもの癖でついつい気負ってしまい、空回りするが、何とか話をリードしてもらった。チャーリーは、過去にITの仕事もやっていたなんて、知らなかった。

横にいたスタッフの女の子は、ずっと静かだったが、話を振ってみたら、自分たちはいつも他の生徒たちと共に、作品をずらりと並べられ、その中から選ばれる、ということが日常だ、という話が妙な迫力を持っていた。それから、29歳の天文学の研究員のかた、そして、シナリオの勉強をしている方と話した。自分からはあまり動かなかった。もっと動けばよかったんじゃないか。

そういえば、Lifeのポッドキャスティングで『居場所の現在』の会を聴いていなかった。先に聴いておけばよかったよ。

・「パーティ」で即時的に居場所を確保する方法(charlie)
 →「全員アウェーだ!」と思う事が大切(斎藤)
 →一人目がダメなら酒でも飲んで二人目に(斎藤)
 →パーティを居場所だなんて思わず、おいしいものを食べるべし(柳瀬)
 →パーティごときで人脈ができたら苦労しない(柳瀬)
 →つらい思いを強いられるパーティなんて大した場所ではない(柳瀬)
(http://www.tbsradio.jp/life/2009/10/2009927part1.html)

でも、そのためには、ふつうに話しかけやすい人でなければならない、ということは心得ている。私は近寄りがたいタイプ、と言われることもあり、実際に話す内容との「落差」ばかりを個性としてきたが、もうそれではいろいろと不利であることは認めざるを得ない。ましてやパーソナリティ陣のように第一線で活躍しているような人の前では、何にもならない。結局、私も平凡と個性のコンプレックスを未だに引きずっている。イベントにはそうあるべくして行った、ということか。

文化系トークラジオLife

文化系トークラジオLife

ETV50 もう一度見たい教育テレビ

NHK教育テレビは50周年だそうて、いろいろとお蔵出し番組を放映している。嬉しいことだ。その中で、いとうせいこうをナビゲーターにした教養番組を一週間毎日放映していた。TVチューナーの試運転を兼ねて、日々録画していったのだが。

『ビッグ対談 舞台は人生 人生は舞台 杉村春子森繁久彌(1986年)』 見たのだが、面白さがわからなかった。
『ETV8 司馬遼太郎 雑談「昭和」への道(1985年)』 これもよくわからなかった。司馬ファンの人には薦めてみたのだが。
『ビッグ対談 幸福のありか・知のゆくえ 瀬戸内寂聴久野収(1985年)』同じく。
表立っていないだけかもしれないが、出演者に何かのテーマに切り込んで行かなければならない、という切実さが感じられなかった。それとも、1980年代半ばのテレビは、本当にのんびりした雰囲気だったのか(NHKだし)。(内容はともかく)コンパクトでタイトなコメントを要求される今のテレビに慣れてしまったせいで、余計にそう感じられるかもしれない。お前の知的水準が及んでいないだけだ、と言われればそれまでだが。

『世界の児童文学者に聞く ミヒャエル・エンデ(1986年)』見逃した。一時期、幻想文学に興味があっただけに、惜しいことをした。
『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜(1999年)』フジコ・ヘミングが日本で知られるきっかけを得た番組。下北沢に猫とともに住み、夜な夜な自宅でピアノを弾いて生活する彼女へのインタビューと、復活の藝大リサイタルだけ。クラシックのことはよくわからないが、機械のように精確ではないリストの『ラ・カンパネラ』の生々しさが、ずっと後を引いた。

2003年に、彼女のコンサートのチケットを買ってみたが、仕事が激務になり休日出勤をせざるを得ず、結局、親戚の伯父さんにチケットを譲った。惜しいことをした。

『不毛地帯』

PCのデジタルTVチューナーを買ったことを前に書いた。結局、何を見ているかといえば、『不毛地帯』である。要するに、浮ついていない、重厚な雰囲気のものが見たかった。

登場人物すべてが、業を背負った曲者か、その逆の純粋無垢な人間、のどちらかに見える。その両者を象徴する主人公の壱岐正(唐沢寿明)は、第二次世界大戦の加害者(日本国参謀)と被害者(敗戦でシベリア抑留で死線を彷徨った)として、今度は経済戦争の中、彼らの間を揺れ動いている。

現代のドラマということで、スピード感を持たせることにとても意識的であるように思う。そのせいか、そこは強引に進めすぎるんじゃねえの、とストーリー展開に突っ込みたくなることもたまにあるが、それ以外は素直に愉しんでいる。たまには、何も言わずとも愉しめる作品がなきゃ、疲れてしまう。

そう思っていたら、エンディングの映像に流れる吹雪の不毛地帯にたたずむスーツ姿の唐沢寿明が。ちょっとシュールな気がするぞ。まあ、どうでもいいことだ。それにしても柳葉敏郎って何やっても同じに見えるな。だから、置いときゃいいだろって。

これ、周りで見ているって話を聞かないのだが、みんな見ていないのかな。

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

山崎豊子原作のTVドラマ作品は、6年前に『白い巨塔』を見た。主演は同じく唐沢寿明だった。前半の途中から見たが、ぐいぐいと惹きつけられて、今でも見てよかったドラマ、として思い出す。そのあとの、TBS『華麗なる一族』は、万俵鉄平(木村拓哉)が主役になってしまったので、物語の悲劇性がセンチメンタリズムに流れてしまったような気がして、不満だった。それにしても木村拓哉って何やっても(略)。

白い巨塔 DVD-BOX 第一部

白い巨塔 DVD-BOX 第一部

華麗なる一族 DVD-BOX

華麗なる一族 DVD-BOX