お笑い芸人との邂逅

風邪をひいてしまい、ずっと体調がすぐれない。

いっそのこと寝込んでしまえばよかったのかもしれないが、仕事場に行くことは出来たので、何とか仕事をこなしていた。問題は、夜寝るときに咳が出るので、睡眠が十分に取れないことだ。集中力がなくなるし、快復は遅くなるし、数年前から軽い風邪をひいてもこうなるので、本当に苦しい。

それでも、たまたま体調を保った日に、ライターのいけっちくん、シエ藤くんと飲み会があった。いけっちくんの所属事務所の後輩にあたるお笑い芸人が来る、と聴いていた。お笑い芸人に会うのは初めてなのだが、どういう人たちなのか。

集合場所にやってきたのは、人の良さそうな「お兄ちゃん」たちだった。そのまま近くの飲み屋へ。芸人さんが席に着くときの「失礼しまーす」の声が妙に新鮮に響いた。

集まったのは、ピン・コンビそれぞれの形態で活動する4人(全員20代後半)、ライター3人、ぼく(お笑い好き)と、男だらけ。最近、こういうのも珍しい。芸人さんたちは、まだそれほどメディアには露出していないものの、M-1グランプリ準決勝進出経験者もいて、将来に期待がある。

話はお笑い芸人さんたちのエピソードや関心事が中心だった。さすが、ネタとして完成度が抜群だった。大学の日本拳法部で、道場破りをすべて返り討ちにしていたが(でも段位なし)、アマレス部の新人にボコボコにされて、アマレス最強説を信じるようになった話とか。ぼくの文章じゃ伝わらないよなあ。

ほかにも、スーパーファミコンのソフトだけを延々とレビューするブログを書いている話、とか、糸井重里の『MOTHER』などのファミコンソフト作りは完璧すぎる、という話とか。面白い話はずっと続いたのだが、笑いを強要するような場の空気、というものは、まったくなかった。

でも、みんな人気者だったかというとそうではなく、学生時代は相当コミュニケーションに苦労したり、学校に行かなくなってしまったり。

有名になる、とか、お金を稼ぐ、とか、どういうことが目標なのか、と尋ねてみると、「面白い人でありたい、そのためにはある程度お金があればいい。でも、それでは向上心が足りない、と叱られる」と言っていた。とても現代的、ということか。ネタはあるのだから、有料メルマガで稼ぐ、というのはどうか、と思いつきで提案したら、「プロデューサーやってください」と言われた。ごめんなさい、思いつきで言っただけです。

今回初めて会ったライターのSJさんは、アイドル歌謡のDJもやっているそうで、まさかここでそういう人に会えるとは思わなかった。それに加えて、ラジオの『コサキン』『文化系トークラジオLife』のリスナー。傾向が合いすぎている。今度どこかのDJイベントにお誘いすることにしよう。

芸人さんのひとり、デニッシュの中村さん(http://www.k4.dion.ne.jp/~danish/)によると「お笑いライブの打ち上げの2次会午前0時」的雰囲気だったらしいから、シラけさせることがなくてホッとした。でもまだ午後8時半。そのまま「新宿BOOGIE」へ移動した。

「新宿BOOGIE」は、新橋「なつかしや」の2号店で、リクエストで80・90年代の映像が楽しめるバーである。みんなで見るYouTube、のようなものか。当時を知らない20代後半の芸人さんたちは、微動だにせず当時の映像に見入っていた。泰葉が歌う『フライディ・チャイナタウン』のジンガイ、という歌詞に失笑。

ゴールデン☆ベスト 泰葉

ゴールデン☆ベスト 泰葉

他人との新しい出会いは、最高に楽しい事柄のひとつだと、無邪気に思う。とても楽しかったので、お礼のメールを書いていたら、大学時代によく遊んでいた旧友からのメールだった。

「結婚することになりました。突然のことで、自分でも驚いています。」

そっちの出会いも大事だな。