司馬遼太郎『坂の上の雲 一』
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1999/01/10
- メディア: 文庫
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司馬遼太郎の『坂の上の雲 一』を読み終えた。日露戦争でロシア最強のコサック騎馬隊を破る秋山好古と、その弟で日本海海戦の参謀・秋山真之、そして正岡子規の青春時代が描かれている。人物中心の記述なので、歴史に疎い私でも一気に読み終えられた。いや、細かい歴史の描写を丁寧に追っていくといつまでも読み終わらないので、そこは飛ばした。2巻目を予約したが、貸し出し中だった。その間に復習すればいい。
余談だが、とある歴史勉強サイトを覗いてみたら、<<その時代が「どうやってはじまって、どう動いて、どう終わったか。」または「誰が始めて、誰が実権を握って、誰が終わらせたか。」を考える>> と書いてあって、あーなるほどね、と、そんな単純なフレームワークに今さら感心したぐらい、私は歴史に疎い。
楽しく読んだのだが、いつもの癖で、こういうフレーズが心に残ってしまう。
「秋山の兄さん、この世の中で」
と子規はきいた。
「だれがいちばんえらいとお思いぞな」
「なんのためにきくのだ」
好古は、質問の本意を聞いた。質問の本意もきかずに弁じたてるというのは「政治家か学者のくせだ」と好古はつねに言う。軍人はちがう、と好古はいう。軍人は敵を相手の仕事だから、敵についてその本心、気持、こちらに求めようとしていること、などをあきらかにしてから答える。そういう癖を平素につけておかねば、いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり、独善におち入ったりして負けてしまう、と好古はいうのである。
(文春文庫新装版 158p.より)