自由の魂

渋谷のハイファイ・レコード・ストアで、例によって雑談しながらレコードを試聴させてもらっていた。

いつからレコードプレイヤーが家にあったのか、と訊かれ、子どものころは父親のステレオでコロムビアの童謡レコードばかりを聴いていた、と答えた。

その後、そのステレオは故障して聴けなくなり、大学に入ってコンポに接続するためのレコードプレイヤーを買った。それは、移転する前の池袋WAVEで売っていた『ゲッツ・ジルベルト』とピチカート・ファイヴの『フリー・ソウル・2001』を聴くためだった。

フリー・ソウル・2001』のビニールのシュリンクには、<<ターンテーブルが無くても思わず2枚買い。>>とコピーがあって、2枚買いじゃないが、本当にそうしていた。

では、CDプレイヤーを買ったのはいつか、と訊かれた。

中2のときだった。
それには明確な目的があり、CDのみで再発された、中原めいこの初期のアルバムを聴くためだった。

「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね。ですか」
そうです。そのとき、ラテン、という音楽があることを意識しました。
それが今の好みにも影響しているかもしれません。
「へえ。」


けっこういい曲があったと思うんですよね。コンピ作ったらできるかもしれない。
「できるんじゃない? <フリー・ソウル中原めいこ>」

それを聴いた途端、名前の妙なハマり具合と、自分の中のイメージが急に形になったような気がして、笑い出してしまった。とりあえず、試作することにする。

中原めいこは1992年に歌手活動を休止しているが、それまでは自分で作詞作曲し、テレビCMやアニメ番組の主題歌でもよく知られるようになり、早見優西村知美などアイドルにも曲を提供していた。いま再発されているCDは、ベストと銘打たれたシングル・コレクションばかりである。もっと評価されてもいいのでは、と思っている。かつてのファンというものは、皆そうかもしれないが。

中原めいこの声は、聴いていると生活感というのが感じられない。その点は、そのあと追いかけることになるピチカート・ファイヴ野宮真貴に、自分の中では繋がっている。

果たして、今でも通用するような楽曲なのか、それとも単なる過去の思い入れなのか。ひそかに検証してみる。

ゴールデン☆ベスト

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