植草甚一 マイ・ファイヴァリット・シングス

世田谷文学館で、トークショー「きょうの話は『ワンダー植草・甚一ランド』からはじめよう。」を見てきた。出演は、小西康陽・小梶嗣(こかじみつぐ/スクラッパー、朝日新聞社) 両氏だった。

100以上の座席が設けられた会場に、主役の両氏が登場した。小西氏のジャケットの下の星条旗ネクタイが目立つ。小梶氏は、自分の好みでスクラップブックを多数作っている方で、小西氏は「狂っている」という賛辞をかつて送ったらしい。

何を話していいのかわからない、とお二人とも緊張のご様子だったが、台本無しのゆっくりとしたペースで話が始まった。トークの中で、希代の評論家・エッセイスト植草甚一にまつわるお二人それぞれの思い出を語っていく。のんびりとした雰囲気の対談の中に、ポイントが見え隠れする。以下が私の印象に残ったポイントだった。不正確だけど。

「植草さんの本は、情報が溢れてくる感じ。通読することの意味があまり感じられない。パラパラと拾い読みする方法が合っている。おいしいところがたくさんあって、つまみ食いするように。」

「今の時代の若者に植草さんを紹介する意義は、植草さんの何者でもない自由さにある。」

「今回の植草甚一展の特徴は、図録がよく売れ、客層が他のイベントと異なる。とくに中高年女性がほとんどいない。」

小梶氏は、現代の植草甚一として「小西康陽ヴァラエティブック」を製作中とのことで、その途中の「たたき台」を見せてもらう機会があった。ファンとしてはまったく飽きることがない。完成が楽しみだ。

実は、私は植草甚一という人の本をまったく読んだことがない。いや、正確には通読したことがなく、本屋でパラパラと立ち読みする程度だった。予習しない人間が行ってもいいだろう、と開き直っていたが、そういう読み方もそれほど間違っていなかったのかもしれない。

そして、何も知らない割には、対談の内容を楽しむことができた。トークの雰囲気の良さもさることながら、私が何も知らなくても、本や音楽や映画がテーマになっているという話の構造だけで楽しめてしまうタイプなのだろうか。ああ、それでよく調べもしないくせに自分の話題にしてしまうから、知ったかぶりが出てしまうのか、と思い当たる。

ふと、豊島区・駒込にある親戚の家を思い出す。幼いころからしょっちゅう行っていた。外はたまに車が通るぐらいで本当に静かで、そこで古い本やマンガを読んだり、ピアノを弾く真似をするのが好きだった。この前も、昭和40年代の近所の自営業組合名簿みたいなものを見つけて、その内容や広告が面白かった。

その家のやけに蛍光灯が明るい台所のテーブルにつく。その近くの古い机の上に乗っている、叔父さんの仕事用の現役黒電話がたまに鳴る。そういうところで植草甚一の文章を読むのが私の理想であるように急に思えてきた。

トークショー終了後は、いつもクラブで会う皆さんと喫茶店でお茶を飲みつつ、サブカルチャーの雑談に興じ、お開きとなった。これも植草甚一的午後の風景なのか。

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))

植草甚一スタイル (コロナ・ブックス (118))