莫迦の合わせ鏡

いつもプロジェクトで使用している設備の管理をしてくれているIさんという女性がいる。協力会社の人である。10月からの体制変更に合わせて席の手配をしてくれているのだが、進行がはかどらないらしい。
Iさん「リーダーのNさん(けっこうなお歳)が3日前に言ったことと違うことを言うもんだから、話が進まないんですよ。しかも悪気がなくて本当に忘れてるんですね。それでイライラして、じゃどうしたら進められますかって訊くと、モゴモゴ言っていて要領を得なくて、どうしようもないんで会議の席を蹴ってしまうんですよ。」

それ、日常化してるんですか。

Iさん「さすがに我慢の限界に来ちゃって。何度か続いてますね。そういえば、前にいた会社もひどかったですね。」

話はIさんがいた以前の会社に対する毒舌へと移っていった。

Iさん「みんな仕事を他人に押し付けることばっかりしていて。その会社は、高学歴なのに莫迦って人が多かったけど、ここは高学歴で英語がわかるけど莫迦って人が多いかしら。あら、atnbさん、どうかしたんですか」

あまりに身につまされて、ショックで心停止してました。

私はNさんのことを悪く言うことが出来ない。なぜなら、自分にも同様の心当たりがあり過ぎるからだ。どうしたらNさんはその状態を脱せるのだろうか、とお節介に考えてしまうが、それは自分を救う方法を考えることでもある。

私もよくコミュニケーション上の失敗をイヤになるほど繰り返す。それは文書作りでも同様である。そのためチェックリストを作って確認を繰り返しているのだが、今日も2、3項目のチェックが引っかかったのに気づいた。あーあぶねえ。

そして、協力会社の新人くんたちの文書作りの指導をする。私が彼らの文書の至らなさを指摘するのだが、そのパターンはほとんど同じである。Aの部分で直したようなことがBの部分では直っていない。

Nさんと私と新人くんの共通している部分は、同じミスを繰り返していることである。言動や文書の一貫性や整合性が失われていて、仕事の成果の不備につながっている。皮肉にも、失敗を繰り返すということだけが一貫性を持っている。先輩と後輩を合わせ鏡のようにして、自分の莫迦の相似形を再確認してしまった。「莫迦は死ななきゃ治らない」という言葉は悪口ではなくて、単なる真実だった、ということがよくわかってしまった。

それでも治すには、どうしたらいいのか。おそらく正確に自分の莫迦の傾向を自覚するしか方法がない。こんな日記のような文章を書いたり、メモの取り方に注目してみたり、という行動もその願望の表れじゃないのか。

ここから自己啓発系の話題にいくらでも持っていけそうだが、これ以上書くと余計に暗くなりそうだから、終わり。