黒田研二『結婚なんてしたくない』

昨日の飲み会の酒が効いたらしく、起きたのが10時30分。読書会の課題図書から解放されたのをいいことに、適当にネットをやりつつ、録画していた「爆笑問題の検索ちゃん」を見ていたら、もう午後になってしまった。で、ほったらかしにしていたCDを整理して、夕方。いつものようにだらけた1日だった。

昨日の「古典イッキ読み講座」のことを考えた。面白かったのは、夏目漱石吾輩は猫である』に名前が登場する大町桂月が、雑誌『太陽』の中で漱石の批評をしていることに作品中で言及し、それを当時の読者はネタとして知っている、という前提で書かれているということだった。そういったことは、注釈を読めばわかることが多い。(課題指定の角川文庫版にはなかったが、ほかの版にはあったはず)

たとえば、50年後の人がいま書かれている(50年後までに残った)本を読んだとして、その本の中に小島よしおの「そんなの関係ねぇ」のフレーズが入っていても、ある程度の注釈がないとそれが当時流行っていたことがわからない、ということである。

長くなるので、自分なりに昨日の講義の結論をまとめる。

とっつきにくい古典への理解を深めるためには、上に挙げた注釈を調べる方法など、その本が書かれた状況や時代背景を明らかにするための作業(つまり相対化)が有効で、そのための環境や情報はすでにたくさんの人が解説や研究などで整えてくれているので、やりやすい。しかも年月の経過に堪えているので、本質が詰まっていることが多い。したがって、古典を読んで理解するということは非常にお得である。

こんな感じですかね。本当は、課題図書の古典を理解するために、さらに関連図書を読み進めるのがいいかもしれないが、いまは仕事に関する読書のほうが気になるので、そちらに今回のノウハウを応用することを目指す。

課題図書から解放されたので、図書館で借りてきた本をひさびさに読むことにした。それが、黒田研二『結婚なんてしたくない』だった。ひさびさに旧友と電話しても、「結婚したのか」と訊かれるようになったので、ついタイトルだけ見て持ってきた。

結婚なんてしたくない

結婚なんてしたくない

結婚に関心の無い5人の男性(超ナンパ男、アニメオタク、同性愛者、パラサイトシングル、優柔不断)の前に、ある日不思議な女性が現れて、独立して話は進んでいくが…、というライトなミステリーである。それにしても、なんとわかりやすい男性のキャラクター付けであろうか。ストーリー内容に若干のツッコミどころはあるのだが、文章に変な癖はないし、スムーズに楽しく読めた。「古典明け」だったので、現代のお話って読みやすいなあ、とつくづく思った。作者の黒田研二は、人気ゲームソフト『逆転裁判』シリーズのコミックのストーリーや、ノベライズが、最近の目立った仕事である。とくに強く印象に残ったフレーズは以下である。

人は、記憶なしには生きられない。だが自分一人の記憶では、それが真実かどうかなんて、絶対にわかりはしないではないか。同じ記憶を共有しあい、それについて語り合うことで、初めて人は生きていることを実感するのだ。(略) 記憶を共有し合うパートナーを、自分のすぐそばにずっと置いておきたい。だから、人は結婚するのかもしれない。

自分の年齢のせいもあるのか、こういう本のタイトル(「結婚がどうとかこうとか」)をよく目にするようになった。雑誌の記事のタイトルにも多い。結局は、どのような社会状況、またそれに対する分析があろうと、個人がどのような生活をしたいかという選択と決断に帰着する。それを踏まえて、巻末に書かれていたフレーズをもうひとつ。

結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。(キルケゴール)