夏目漱石『吾輩は猫である』

仕事で、夕方ごろに内輪で打ち合わせを開いたが、出席者のうちの一人がまるで身が入らない。「集中力が切れた」と言って大あくびをするわ、とんちんかんなことを言い出すわ、落書きを始めるわ。仕事をナメているのか、私をナメているのか。「週末だからですかね。」 俺だって週末だよ。

ここで私が大声で怒鳴り散らすタイプならばそうしているのだろうが、客先のプロジェクトルームを借りている身でそれが下品と言うぐらいは心得ている。ひとまず面と向かって注意はするが、たぶん聴いていない。私は莫迦ではあるが不真面目ではない。やっぱり私は不真面目なのが嫌いである。そういえば、奴は追い詰めるとパニックになるらしいから、今月中に実行できそうな作戦を考えておくことにした。

吾輩は猫である (角川文庫)

吾輩は猫である (角川文庫)

いま読んでいる夏目漱石吾輩は猫である』に出てくる猫の主人、苦沙弥(くしゃみ)先生も、その偏屈な性格が手伝ってか、いいように周囲にからかわれている。自宅の近くの庭に落雲館の生徒が出てきて大騒ぎし、苦沙弥先生が逆上している。実は、それは近所の仲が悪い実業家、金田氏の差し金だった。お気の毒に。

そんな光景を猫があれこれと論じている。明治38年の作なのだが、いま読んでも通じるユーモアがたくさんあって驚いている。調べてないけれど、当時同様のユーモアを散りばめた作品なんて無かったに違いない。読書会に間に合うように、続きは明日の朝に読む。

思わず、ひでえなあ、と笑ってしまった部分。

教師は鎖でつながれておらない代わりに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐることはない。辞職をする勇気のあるような者なら最初から教師などをして生徒のお守りは勤めないはずである。