フラワー・オブ・ライフ(全4巻) (4) 新しい種類の優しさに気づく

フラワー・オブ・ライフ (4) (ウィングス・コミックス)

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主人公の花園春太郎は、骨髄移植により、白血病を克服しました。(以下、ネタバレです)


しかし、約1割の確率で再発し、亡くなってしまうかもしれない、と姉のさくらから聴かされ、愕然としてしまいます。読んでいる私も、春太郎と同様にそのことを忘れていたのですから、その衝撃は大きかったです。

限りある生の青春と死については、私が初めて書いたエントリで、大崎善生『聖の青春』というドキュメントを取り上げたことがあります(id:atnb:20040831)。こちらは、自分が長くは生きられないことを悟りながら、最期の瞬間まで将棋指しであろうとした青年の話で、ぜひ一読をお薦めしたいです。

聖の青春 (講談社文庫)

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クラスメイトは、今どうしているのか

さて『フラワー・オブ・ライフ』の中では、

春太郎「だって翔太お前いま中学ん時の友達と誰か会ってる?」
翔太「あ ホントだ… 僕も全然会ってないや」

さくら「高校の時一緒の子で今あたしに連絡くれる子なんて誰もいないじゃない…!!」

というセリフが出てきて、いまが充実している人と、寂しく思っている人の違いを表しています。彼らは若いので、おそらく、かつてのクラスメイトたちは普通に生活しているでしょう。

先日、自分もまさにそんな会話を旧友としていました。(id:atnb:20070701) そのとき私は、深沢七郎の言葉を引用して、【友達は、季節に咲く花】と知ったような口を利いていました。あ、ここでも「フラワー」ですね。

ところで、自分のかつての学校のクラスメイトたちは、今もみなどこかで生きているのでしょうか。

日本人の平均余命(平成17年簡易生命表 PDFファイル http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/08/dl/s0807-3b.pdf)によれば、私とほぼ同年代の昭和50年生まれの人が、40歳まで生きる割合は、男性で95.1%、女性で96.9%でした。つまり、40人クラスなら、1人か2人は亡くなっているのですね。

上の数字と直接は関係ないのですが、いま、私の周りでは、精神的な抑うつ傾向に悩む人が増えてきました。かくいう私も、仕事のプレッシャーで、かなり精神的に参っていた時期がかつてあったので、他人事とは思えません。

そして、私はときどきDJイベントに足を運ぶのですが、昨年、数名のDJの方が相次いで倒れてしまい、入院する、ということがありました。

そんなとき、私が購読している日垣隆のメルマガ「ガッキィファイター」2006年12月30日号 にこんな言葉があり、その感慨を深くしたのでした。

あなたの親しい同僚や友人や家族や恋人やあなた自身も、来年の大晦日を健やかに迎えられるという100%の保証など、ないのである。

まとめ

また話が逸れました。もう書きたい放題ですな。

花園春太郎の、白血病の再発確率は約1割です。でも冷静に考えてみると、9割は寿命を全うできる、ということです(そう単純化させてください)。

今度の8月3日にフジテレビで放送される『“千の風になって”ドラマスペシャル 第1弾 家族へのラブレター』(http://www.fujitv.co.jp/sen/)で、主演の黒木瞳が演じる一家の母親は、ガンにより寿命3ヶ月という設定です。私は3日前(id:atnb:20070728)に

ふつう、ドラマを考えるとするなら、病気にかかる前から、病気にかかったと知ったその前後、が、中心になりやすいでしょう。ありきたりですが。

と書きました。これぐらいの死が迫った設定でないと、テレビドラマにはなりえないのですよね、きっと。

しかし、『フラワー・オブ・ライフ』では、大きな確率で春太郎は生きられるであろうにもかかわらず、彼の動揺に深く共感してしまうのはなぜか。

今のところ、はっきりした答えは出ません。しかし、自分が親近感を持った人が、シリアスな不安を抱えたとしても、それを克服するのに役立つ希望を日常生活に見出したなら、私たちは素直に応援したくなり、そして、そのとき私たちの中に呼び覚まさせられる優しさの感情は、たとえば何ヵ月後かに亡くなってしまう人に対する優しさとは、実は性質を異にするものなのではないでしょうか。そして、それを読者に気づかせるような作品を描いたよしながふみは、やっぱり名手なのでした。

最後の余談

真島海の「甲子園古墳」のエピソードで、

真島海「こういう自分に隠れてこそこそ何かを企らまれるのが一番嫌いなんだよ」

という言葉に、あ、自分と似てるな、と思いました。
ほかにも、ビング・クロスビーのCDのBGM、神経質な人の本の貸し借り、など、共感できる小さなネタがたくさんあって、満足しました。

(終わり)