日垣隆『すぐに稼げる文章術』の批評に応えて

rararapocariの批評エントリ(id:rararapocari:20070523)に答えようと思っていたので、書いてみる。以下、(1)〜(7)。

(1)

ダメな点として、誰もが指摘したくなるのは、羊頭狗肉で下品なタイトル。何を持って「すぐに稼げる」と言っているのかよくわからない。タイトルについては、本人も違和感があるようで、あとがきで「考えたのは自分ではなく、編集者」と言い訳をしているのもいただけない。

でもその後に【よく考えてみれば、実際のところ私にとって文章は、お金を払って読んでもらうという以外の意味を持っていません。そういう職業的な体質を骨の髄までもった俗人です。だから、こういう本を書き上げるのは楽しい作業でした。本当のところタイトルは、ずっと気恥ずかしい感じでしたけれども、俗人なら、いつまでも恥ずかしがっていてはいけませんね。】と続いていることについては、どうなのだろうか。
この場合の「すぐに稼げる」は、ライターもさることながら、すべての職業人は何らかの文章を書くことと無縁ではいられない、ということを指していると思う。

(2)

次に、全体のバランスがあまりよくない。

今回、全体を読み返して改めて思ったが、これらの一連の凸凹した文章群を自分のこととして受け止められるのは日垣隆しかいないのではないだろうか?ということは、この本は、日垣隆自身に向けて書かれた本なのではないか、と思ってしまった。

2005年にメルマガ『ガッキィファイター』が主催した「文章講座」と、メルマガ記事の再掲載(ブログ炎上)と、書き下ろし(フリーライターQ&A、参考文献)、が主な内容なのだが、たしかに構成がまとまっていない印象はある。いつもの著作にはある「はじめに」の事前説明もないし。今度、オフ会でお会いしたら尋ねてみたい。

実は、構成の疑問については、同じく日垣氏の『知的ストレッチ入門』にも言えると思います(書く、というテーマを掲げながら、メルマガのブログ分析記事の再掲載であること、など)。

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る

知的ストレッチ入門―すいすい読める書けるアイデアが出る

(3)

以前も少し書いたが、日垣本の大きな問題点は、対象としている読者層がぼやけていることだと思う。

上にも書いたが、職業として文章を書く人、つまりほとんどすべての人が対象だから、ぼやけているのだと思う。ぼやけている、という指摘自体は正しいが、私は総論的に書いた結果、と思っている。もちろん、その姿勢自体に対する賛否はあり得る。

(4)

たとえば、第2章の冒頭で7頁にわたって、一般人のAmazonのレビューを「悪文」としてぶった切るのだが、Amazonレビューに求める文章レベルが高すぎるように見える。少しくらい文章の程度が低くても、自分の性に合わなければ無視すればいいだけで、読む側がスルーできるかどうかの問題だろう。

これは、レビューを書いた人が、かつてメルマガで日垣氏とレビュー対象本に関するやりとりがあったからだろう。問題になっているのは、文章としてのレベルもさることながら(あれは少しくらい、じゃないだろ)、「読む側がスルーできるかどうかの問題」ではないことは、本文でも指摘されている。<<笑える本や莫迦本のレビューを書きたいということはあるかもしれません。しかし、本を販売しているアマゾンのサイトで本の悪口を言うのはおかしなことです。八百屋さんで『この野菜は腐っています』と言っているようなものですから、ありえませんよね。>> もちろん、本が批評の対象にならない、という話ではない。

(5)

また、第3章冒頭では、「エッセイ・ブログ編」として、メルマガ読者の文章について添削指導が行われている。確かに、指導内容はそれなりに頷けるものだが、そもそも修正する必要性がどの程度あるのか疑問に思うものも多かった。

これらは、「文章講座」で各人が「どう直していいかわからない文章」を募った際に提出した文章である。非常に個別的すぎるなので、第三者が見るとわからないということはあると思う。私の場合は、どうやったら日常ネタをブログで膨らませられるか、というつもりで訊いたが、「的を明確にする」というアドバイスのおかげで、書く情報の取捨選択の基準がひとつ明らかにできた、という点で有用だった。

(6)

次に問題なのは、この文章術には、核となるコンセプト(日垣メソッド)が全くないことだ。

たしかに、ない。おそらく考えたり書くことを実行したりするための本質的なヒントはいくらでも出てくるのだろうが、手順、のようなものは期待出来ないだろう。
いま気づいたのだが、「稼ぐ」というタイトルは、自ら積極的に書く意思を持つ、という前提を背後に含んでいるのではないか。それならば、私の予想なのだが、提示されたヒントをもとにして、自分なりの方法を試行錯誤で繰り返して体得する、以外にない、と日垣氏は考えているだろう。
ましてや、書くための敷居はいくらでも下がっているのに、書くことがない、という人は、「じゃ、何で書かなければならないんですか」という質問が返ってくるに違いない。
そういう意味で、自分がこの本に求めているサービスのレベルの期待値は、

さて、文章読本の類には、必ず以下の3項目が必要であるように思う。
1. なぜ書くか(読むと、書くモチベーションが上がる)
2. 何を書くか(読むと、文章を書けるような気がしてくる)
3. どう書くか(読むと、上手に文章が書けそうな気になる)
これらは順序にも意味があり、1⇒の段階で躓いている人には、、2、3のアドバイスは役に立たないし、1⇒2⇒の段階で躓いている人には、3のアドバイスは役に立たない。したがって、3だけで組み立てられた文章術の本は、地に足がつかず、「小手先」感が出てしまう。
そして、日垣本は、大部分が3についての内容で、1,2は、ほとんど出てこない。

とrararapocariが書くほどには、高くないのかも知れない。

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

伝わる・揺さぶる!文章を書く (PHP新書)

rararapocari が絶賛する山田ズーニー『伝わる・揺さぶる!文章を書く』は、上の1.2.3.を満たしている。私も読んで気に入っている。この本と『すぐに稼げる文章術』は、目的が大きく異なる。

そういう優しさは、日垣本にはほとんど感じられない。全編を通して、読者への愛がないこと。そこが、自分が『すぐに稼げる文章術』が好きになれない一番の理由かもしれない。(だからこそ、この本は日垣隆自身に対して書かれていると思ってしまうのだが)

このrararapocariの考察は当たっている。そのおかげで、私はその「愛情の無さ」を芸として受け止めて楽しんでいることに気づいた。

(7)

で、結局、どうなんだっていう話だが。
正直なところ、私はメルマガを購読しオフ会にも出席する日垣隆ファンで、本にも自分のブログが引用されているので、バイアスがかかった状態でコメントするのはフェアじゃない、と思っていた。rararapocariの意見を読み、いくつか反論はしたが、彼がどのような目的を持って読み、どういう感想を持ったか、については、ファンでない読者の視点として重要なものだと思う。その上で、私は『すぐに稼げる文章術』を有用なものとして考える、ということは、矛盾しないと考えている。