全国一千万人のファンの皆さん

日本の宗教法人が発表している信者の数をすべて合計すると、日本の人口を超えてしまうのは有名な話である。この前に読んでいた日垣隆の『敢闘言―さらば偽善者たち (文春文庫)』でも、「一千万人以上の統計を見たら、どうやって数えたのか疑うべし」というようなことが書かれていた。

「全国一千万人のプロレスファンの皆さん」と最初に言ったのは古館伊知郎ということでいいのだろうか。そんな数を信じる人はいまいが、私は行く先々でよくプロレスファンに会う。中、高、大学生のときはクラスに数人はいたものだった。そして、働き出してからも必ず周囲にプロレスファンはいた。それも、協力会社、取引先など、行く先々に必ず一人はいる、という感じなのである。

プロレスファンで無い人は、プロレスをどう見ているのか。小川直也、元横綱の曙、和泉元彌長州小力。彼らのマスコミでの取り上げられ方を見ていると、あまりよく思われていないことは推測できる。プロレスファンと同じぐらいの数で、「八百長だ」という人はいるのかもしれない。技の受け、が明らかだから、そう思われるのだろう。プロレスファンの私は、もともと真剣勝負か八百長か、という二元的な見方には興味が無い。受けがあってもなくても、技が美しく正確であってほしい。それは、プロレスでもK-1でも総合格闘技でも同じことである。

私の働いている場所は、いま一時的に変わっていて、そこでちょうど一年前に一緒に働いていたTさんに出会った。Tさんとは、客先の会議のとき、出かけたビルの1Fのカフェで前の会議の終了を待ちながら、プロレス談義をしていた。某プロレスラーと小学生時代に同級生で、休み時間にヒンズースクワットをさせられた、という話もそのときに聞いた。私を見て「またお仕事ができてうれしいです。」と言ってくれたが、たぶんかつての仕事振りを誉められたわけでは、ないだろうなあ。まあ、まずは、新日本プロレスの契約更改はなぜ騒ぎになるのか、というところから。