クラシック・ギターとわたし

中学生のとき、たいていロック・ギターをやり始めるヤツが周りに何人かいる。そのときはバンドブームも手伝って、とくにその数は多かったように思う。当時、私はそんな風潮にまったく関心がなく、中村由利子のピアノのイージー・リスニングを聴いたりしていた。
ギターに興味を持ち始めたのは、高校生のときに知ったゴンチチが、ほかのどのミュージシャンにも似ずに飄々とギターを抱え、しかしギターっぽさを前面に出すことなく、ストレンジなメロディーを奏でていることに興味を持ったからだった。その後、大学の音楽サークルに入ったが、結局、ギターを弾くよりも歌う機会のほうが多かった。
それでも、ギターのレッスンには通っていた。フォーク、ジャズと習ってみたが、なかなか身につかなかった。練習もそんなに熱心にしなかったから、当然のことだった。

もともとボサ・ノヴァが好きなことや、ソロでのプレイに興味があったので、近所でクラシック・ギターを習うことに切り替えた。かれこれ3年続いている。クラシックは、親切だ。体系がしっかりしているので、学ぶものにとっては、その意味合いがわかりやすい。練習のペースは、仕事の多さにかこつけて、毎日出来てはいないが、サボることなく楽しくレッスンに通っているので、まあ、合っているのでしょう。楽器店に行って、クラシック・ギターを試奏している人が、サラリと複雑で美しいメロディーを奏でているのを聴くと、それだけでうれしい気分になる。

DJを聴きに行くようになってから、自分がギターを習って弾く意味を考えるようになった。DJでは、ある程度大きな音量で、リズムの強い曲が次々とかけ、全体の流れを作っていく。一方、クラシック・ギターを弾くときは、一曲の中の音量の大小に注意し、テンポの緩急をつけ、一曲をいかに飽きずに聴かせるか、ということに注意して演奏する。そして、一曲を間違えずにきちんと演奏できるように仕上げる、ということは、難しくて重要である。それを知って、プロのミュージシャンにはより強く敬意を払うようになった。

今は、友人に頼まれてギターを弾くことがあるが、理想としては、知らない人にも聴かせて「うまいね」と言われるようになりたい。そして、将来、老人ホームのための慰問ができるぐらいになればいいんじゃないでしょうか(笑)。