昭和ダンス・パーティー presents レコード寄席@タワー・カフェ

昨日のイベントの朝帰りから、目覚めたのが午後1時。ギター・レッスンと整体を済ませた後、無料イベント「レコード寄席」を見に行くために恵比寿へと向かった。id:zumi_zumiくんからメールが来ていて、急用で来られなくなった、とのこと。残念。

会場に着くと、「怒髪天」のライヴ・ポスターが目に入って、会場を間違えたかと一瞬びびった。それは1階の話で、落ち着くと、2階のタワー・カフェには人だかりが。入ってみると、会場中央のソファー席に、「こあん」と常連の皆さんがずらり。moodsvilleの塚田さんに呼んでいただいて、うまく座れた。
ほどなくして、イベントがスタート。司会は、「タモリ倶楽部」でよくお見かけする渡辺祐氏。そして、DJの小西、平林、内門三氏が登場。以下、簡単に内容を紹介する。うろ覚えなので、自信が無いけど。

  • 平林さんによる、昭和ダンス・パーティーの成り立ちの解説。「音楽ファンと地元のお客さんが両方来ているのがいい。そして、上と下の世代で音楽情報の循環が起きている」
  • DJの登場順は、内門、平林両DJが場を温めておいて、小西さんがあとから来場し回す、というパターンが多い。(しかし、私が実際に見たところでは、内門さんの最初のDJでもう最初のピークがやってくる感じである)
  • レコードのオリジナルのジャケットや写真の紹介。実際のパーティーの写真(あまり詳しくは書けない)が出ると、会場から笑い。
  • 選曲には時間をかけ、だいたい50曲以上の候補の中から絞り込んだ。数あるビクターの和モノコンピの中でも、クラブユースに最も役立つと自負している。ピンキー・チックスの『ヨッパラッタお嬢さん』は、内門さんこだわりの選曲。
  • DJ3人は、50代、40代、(ギリギリ)30代なので、「昭和」の解釈に違いがあり、それを埋める打ち合わせをしたが、すぐに脱線していた。それぞれが考える「昭和」の音楽を、ターンテーブルに乗せて紹介。当時は、イタリアやフランスの音楽も数多く日本に紹介されていた。
  • ラテンのリズムと民謡・歌謡曲を融合させて、独特のアウトプットを産み出す咀嚼力と表現力のすばらしさ。「いまのダンス音楽はとんがったものが多いが、昭和のダンス音楽は、やわらかくてハッピーなものが多くて好きだ」(小西さん談) 木の実ナナの「太陽の下の18才」や、平林さんがオークションで落札した中尾ミエのレコードなどの紹介。
  • 内門さんはレコードに指紋をつけたくないため、ターンテーブルのエッジで頭出しをする、と聞いて、DJでも自分と同じような考えの人がいることに驚いた。
  • うわさを聞きつけ、関西でもやってほしいという声をよく聞くらしい。ただ、「こあん」というお店の雰囲気が重要なので難しいが、DJ3人が出張して、ケータリング形式でやってしまおうか、とか。(私が思うに、これをひとつのスタイルとして、どこかのだれかがあちこちで真似を試みてもいいんじゃないか、と)
  • ビクターだけじゃなくて、ほかの会社の音源からも出したいので、ディレクターさんに各社に転職してほしい(笑)、とか。(でも、往年の「ソフトロック・ドライヴィン」、「東京ビートニクス」、「Love Sounds Style」シリーズが各社から出されていたように、実現したら素敵だなあ、と私は思っている)

渡辺さんの絶妙な進行で、滞りなくトークは進み、1時間たっぷりの内容で、ほかにもいろいろあったが、ひとまずこれだけ。私の席の後ろの人が「これ、タモリ倶楽部*1みたいだね。」とつぶやいていた*2。本当にそうだった。のんびりした中にも、情報量が目いっぱい。イベント終了後、引換券を持っている人には、写真の8cmCD(今回の選曲から漏れた、中尾ミエ/マイ・ボーイ・ロリポップ)がプレゼントされた。やったね。
帰りに、昨日お会いしたid:chippleさん(もらった名刺を見たら、同業であることが発覚)にご挨拶した。遅れてごめんなさい。クラブが暗くて顔がわからなくって(笑)。終了後は、恵比寿といえば、tenementでの飲み会にも参加させてもらった。

*1:DJ3人さんの空耳アワーって見てみたい。

*2:私の隣にいたこあん常連のKさんは、mixiの日記で「花見」のような雰囲気と言っていた