渋谷系ビデオミーティング

3月18日に開かれた、首題のイベントから、帰ってきた。

id:rararapocari:20050220 の記事を見てこのイベントの存在を知った。いちおう前売りでチケットは押さえておいた。整理番号順に入場というから、確認しておこう。…。あ、1番だ。3月3日に買ってこの番号とは。

会場に行ってみると、結局集まったのは70人程度だろうか。混みあうこともなくちょうどいいぐらい。私は、モニターが楽に見られる、真ん中最後列のテーブルの席に座った。ミュージックマシーン(http://www.musicmachine.jp/)のタクヤ氏の説明によれば、渋谷系というと幅が広いが、前半はフリッパーズ・ギター、後半は小沢健二に絞って、友達の家にたまたまあった彼らの映像を楽しむように見てほしい、という趣旨だそうだ。以下、4時間30分におよんだ映像の簡単な紹介。

フリッパーズ・ギター

1.1990年1月 SSTVより クラブクアトロのライヴ
シングル『Friends Again』の発売前。当然、小沢・小山田の二人とも若い。MCはたどたどしい。私は後ろのパーカッションのお姉さんのソバージュが気になって仕方なかった。
2.同ライヴ前後のインタビュー
インタビュアーの名前はわからなかったが、親しげに話すインタビュアーと、楽しげに話す2人が印象的だった。映画『黄金の七人 [DVD]』の話など。
3.1990年11月 フジテレビ "オールナイトフジ"出演
3曲演奏。鳥越マリ(?)の「コンスピレーション」発言を意地悪く揚げ足取り。
4.日本テレビ "MOVE TOWN" (地上波初登場)
司会は向井亜紀、他ひとり。なぜか全員お菓子を食べながらのトーク
5.1991年2月 NHK "ジャストポップアップ" (ポップジャムの前身)
司会は野沢直子と田中美奈子。岡村靖幸も出演(このとき、松田聖子SWEET MEMORIESをキーボードで演奏したらしいが、ここでは流れなかった)。小沢健二トーク中にためいき。
6.TBS 『速報 輝く!日本レコード大賞』 新人賞の受賞時
司会の板東英二の「フリッパーズ“の”ギター」発言。同じく司会の和田アキ子は「アッコにおまかせ」テンションを封じられているので、2人の意地悪さに対応できず。
7.WOO(?) 『ヘッド博士の世界塔』リリース時のインタビュー
傘を差しながら、小沢健二は新作について饒舌だったが、小山田圭吾はやる気無し。
8.1991年9月 フジテレビ "ROCK SHOW"
司会のかとうれいこに対しても、2人は意地悪総攻撃。

小沢健二

1.1994年7月 フジテレビ"笑っていいとも!" テレフォンショッキング
小沢健二が175cmなのに51kgで、大食いなのにやせている、という話がつづく。タモリは彼の音楽が好きらしく、『今夜はブギー・バック』をさかんにほめていた。*1お友達紹介で、スカパラの故・青木達之氏の声が流れて、会場からため息。
2.フジテレビ "HEY!HEY!HEY! Music Champ"
小沢初登場。実家のお金持ち&親戚の人脈&頭いい、という話の突き抜けっぷりに、ダウンタウンの2人も笑って「好きになった」。松っちゃんが話をリードするのが新鮮に映った。
3.フジテレビ "ポンキッキーズ" 白くまの着ぐるみで1週間出演
共演は、鈴木蘭々スチャダラパーBOSE。コーナーをさっさと進行していく小沢健二。あと、CM明けにギターと歌も少々。
4.フジテレビ "HEY!HEY!HEY! Music Champ"
3曲演奏。「ドアをノックするのは誰だ」では、なぜかビキニパンツ姿のボディビルダーがバックに多数登場(振り付けあり)*2トークは「子猫ちゃん」で盛り上がる。
5.NHK"ポップジャム"
森口博子のオープニングMCはどこか変だった。スカパラのメンバーなどをバックに従え、3曲演奏。プロモーションを無視した自由な雰囲気。「流れ星ビバップ」での、ハモンドオルガンを弾く沖祐一のグルーヴが素晴らしかった。
6.NHK"ポップジャム"
実質5曲演奏。別格の扱いであることがわかる。「球体の奏でる音楽」時代のジャズバンド編成。何をやってもキャーキャーと観客女子の黄色い声。「今夜はブギー・バック」で共演したスチャダラパーのパフォーマンスが図抜けてよかった。「♪やはりこの曲だった〜」のあとに『ラブリー』がつながる、ファンには少しうれしい構成。
7.NHK"1995年 紅白歌合戦"
白組司会の古舘伊知郎は、なぜ前フリで「紅白に出てくれて、ありがとう」と言ったのだろうか。曲は『ラブリー』。白組出演者がバックでてきとーに曲にのっかる。スカパラホーンズも登場。
8.NHK"1997年 紅白歌合戦"
白組司会の古舘伊知郎は、なぜ前フリで前園真聖を親友として紹介したのだろうか。曲は『大人になれば』。髪がのびていて、映画俳優の水橋研二かと思った。
9.NHK"ポップジャム"
Buddy』と『恋しくて』の2曲。CDはもう出ていたはずなのに、客席はあまり盛り上がっていない。その後のフェイドアウトを予感させる。
10.SSTV『ある光』PV
今回のエンディング。冬の林道を疾走する自転車。そして、小沢健二の歌う顔のアップ。少しやつれた感じ。でも何かを悟ってしまったような表情。



イベント中には、フリッパーズ・ギターにまつわる、さまざまなエピソードの紹介もあった。その中のひとつに、フリッパーズ突然解散時の読売新聞の記事が紹介されていた。見出しは「プロ意識欠く行為」だった。たしかに、周囲にダメージを与えるようなことを突然行ったことは、そうだったかもしれない。しかし、私は、その見出しから別のことを考えていた。それは、今から見れば爆笑のポイントなのだが、彼らが出演するテレビ映像を見ていて、彼らを紹介する司会者たちが、まったく彼らのことについてわかっていない、というグズグズな部分がはっきりと露呈されてしまっていた。それこそが、「プロ意識を欠く行為」ではなかったのだろうか。最初の映像の親しげなインタビューから、その後の険悪なムードのテレビ出演までに、彼らに何があったのか。そのことによる「馬鹿馬鹿しくてやってられっか」という怒りが、実は影響していたんじゃないか、とも思っている。

感想

今回は、フリッパーズ・ファンジン作成で知られる "FAKE"の大塚さん(http://blog.hibi.her.jp/)と中沢さんによる数々の物件証拠、エイプリルズ(http://aprils.jp)の今井氏による突っ込みコメント、そしてなんといっても主催であるミュージックマシーンタクヤ氏による数多くのオンエアチェックのVTRにより、いろいろと楽しませてもらった。
タクヤ氏は、ときどき会場が静かなのを気にしていたが、4時ごろを過ぎて、会場全体にそれなりの疲労感が出ていたためだと思う。とくに、小沢健二のライヴ映像を追っていく上で、同じ楽曲が重なってしまうこともあった。なので、ザッピング用のいいところどりネタ映像を用意して、中だるみしやすい時間を乗り切るといいのでは、と思った。
私がフリッパーズ・ギターの2人を知ったのは、解散後にソロ・デビューした1993年だった。フリッパーズ・ギターは好きだったし、カラオケで小沢健二を歌うこともあった。しかし、小沢健二の描く世界や詞のフレーズに、心から共感を覚えることはなかった(アルバム"LIFE"もよくわからなかった)。しかし、小沢健二の出演している映像を見て、けっこう見覚えがあることに気づいた。横目で彼の曲や行動をずっと気にしていたのだろうと思う。避けていたがゆえに浮き彫りになってしまう存在なのかも知れない。今回改めて見直して、彼の楽曲は面白くてクオリティが高く、詞のことも「ちょっとわかってきたみたい」(「大人になれば」より)。10年前に胸を痛めて小沢健二を聴いてはいなかった私に、貴重な情報と反省を与えてくれたイベントだったと思う。
新宿のロフトプラスワンという場所も、居酒屋スタイルでリラックスできるので、こういうイベントの場所としては最適だった。次回も同じようなイベントがあったら、行くことにしよう。

*1:曲中の「語り」についての話で、タモリが触れていた平尾昌晃の「星は何でも知っている」の語りは「あの娘を泣かせたのはおいらなんだ。だってさ、とってもかわいくってさ、キツスしないでいられなかったんだ。でもお星さまだって知っているんだ。あの娘だって悲しくて泣いたんじゃない。きっときっと、うれしかったんだよ。(←最後、めそめそ感たっぷりで)」コサキンのラジオで、さんざんネタにされたフレーズである。

*2:原由子がたしか1983年ごろ、TBS『ザ・ベストテン』で、『恋はご多忙申し上げます』を歌ったときにも、ボディービルダーの人たち(白虎社?)が登場して、彼女を笑わせていた、と記憶している。