第一回ほぼ日寄席

私は、中学生のとき、突然、落語の本を読み出した。寿限無の暗記ブームより早かった。家にたまたま文庫本「古典落語 (講談社学術文庫)」があったからである。私はずっと東京に暮らしているせいもあって、一種の歴史ファンタジー小説みたいに読んでいた。

有名なWebページ、ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com では、糸井重里の落語好きもあって、「ほぼ日で春風亭昇太さんのひとり会をやったら、来てくれますか」と呼びかけたら、大変な反響があったらしい。で、本当にひとり会が企画され、チケットはあっという間に完売。ロック・コンサートみたいに追加公演も決まった。そして、インターネットで中継するというので、私は、家で見てみることにした。

寄席は、六本木ヒルズという、およそ寄席とは似つかわしくない場所で行われた。最初に糸井重里春風亭昇太が登場し、ひととおり挨拶したあと、寄席が始まった。10分程度のまくらのあと、オリジナルの新作落語が始まった。春風亭昇太は40代半ばだが、人前で芸をしているからなのか、とても若く見えた。ネタも面白かったと思う。

彼が若者を演じる場面があった。もちろんデフォルメをしているわけだが、その程度は大きかった。なぜなら、その噺の主役の老人から見た若者だからだ。そんなシーンから、ふと思ったのだが、若者が主役の落語って、あるのだろうか。あるのかもしれないが、想像しにくい。

休憩時間は、かつての『電波少年』のT部長こと、日本テレビの土屋編成部長がカメラを持ちながら、場内の若い女性に、昇太さんの知り合いですか?と声をかける、という企画をやっていた。若い女性が来るはずない、という前提だそうだ。しかし、土屋氏は声をかけても、なぜか気後れ気味。楽屋に戻った彼は、「自分が他人と話すのが苦手だということを忘れていた」と言った。つまり、それを拡大したものを、タレントや芸人にやらせていたというわけね。

再開後、まずは、三増紋之助による独楽回し。独楽が回るということが、けっこう盛り上がる、ということが発見できた。最後は、トトロが独楽の上で回って綱渡りしていた。再び、春風亭昇太の落語。やはり、時事ネタをまくらは面白かった。しかし、そのあとの古典噺「壷算」は、あまり面白くなかった。これは、昇太が下手、ということではなく、噺自体が自分の見たい笑いの感覚と合わないからだろう。平和な笑い。そういうものは、日常に必要だが、それを芸で確認したいとは思わなかった。いま、見たいのは、現代のタブーに光を当てて、隠されている事柄を明らかにするような、風刺の笑い。これも単純な言い方だな。まくらは、「いま白骨温泉でいちばん癒されているのは、もう入浴剤を入れなくてよくなった係のおじさんだろう」とか、面白かったんだが。

インターネットの中継後、モニタ・アンケートの結果を見た。これが有料の中継なら見ない、という人が多く、有料でも100円なら見る、という結果だったらしい。これでは採算がとれないので、インターネット中継はもう無理なのだとか。これは、単にネット上で有料で何か見る、ということに慣れていないだけなのか。それとも、落語というコンテンツが、現代のメディアにマッチするだけの力がない、ということだろうか。さっきも書いたが、まるで違うタイプの噺(若者が噺の中心)とかになると、変わってくるのかな。